抵抗は無意味だ2

さて、よく「フェミはこんなイラストの問題に口だししないで、もっと他の事に注視しろよ」という意見はまま見ます。もっともです。

でも普通に考えればわかりますが、フェミニストは別にこんな問題が主戦場とは思っておらず目に付いたのを個別に批判抗議しているレベルです。言ってしまえば余技です。

つまり全然、全力なんかじゃないんです。

「今のはメラゾーマでは無い... メラだ」なんです。

メラでもこの炎上具合なのにメラゾーマだとどうなるのか?多分、今のレベルではない事態になると思います。

実際フェミニストの大半はオタクコンテンツに特段興味はなく、自分から積極的に何かをするということはありません。

公共的なコラボ以外で炎上したのというと。

  1. 「嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい」のキャラが嫌な顔しながらスカートをたくし上げパンツを見せている等身大ポップを非18禁ゾーンへ配置。
  2. 「こんなところに先生が」は非18禁ゾーンでパネルに胸の膨らみをつくり自由に触らせる
  3. 本屋へラノベの平積みされた表紙が性的であると言う意見表明

あたりでしょうか?1,2とも正直オタクの間でもこれはドン引きと言う意見も多々ありましたし、3にかんしてはそもそもオタク自身が「最近のラノベの表紙エロすぎw」みたく話題にしてましたよね?

そして重要な点ですが、表紙やパネルなどの外形的に認知できる部分だけで内容にはほとんど着目してないんです。

 

で、「のうりん」以降の個別の炎上案件を点ではなく線として「社会問題」として、フェミニストが集団で動き始めたらどうなるか?つまりメラじゃなくてメラゾーマだとどうなるか?

まあ、フェミニストの大多数は法的規制は志向しないので、まあ多分漫画やアニメラノベにもレーティングを導入せよとなるかと思います。

まずそうすると内容について精査しはじめるでしょう。

「こんな物をノーレーティングでいいと思ってるのか?常識がないのか?」と言われたらエロ方面ではあれとかそれとかまあ色々思いつきますし、私としては正座して「御高説まことにごもっともであり、返す言葉もありません」と言わざるを得ませんし、エロ以外でも盾の勇者は奴隷制や人身売買を積極的に肯定していると問題視されるかもしれません。

自民党あたりは「オタクコンテンツがノーレーティングなのは海外進出の足かせになっている」と主張され、実際そういう問題は起きてますしゲームなどの成功事例を示されたら、逆に積極的に後押しするかもしれません。

立憲民主党共産党も反対するかと問われれば微妙ですね。

コンテンツ業界はどうでしょう?実際は内部で色々自主的なガイドラインはあるでしょうからそこまでデメリットはないかもしれません。しかし、もしレーティングが導入されるとジャンプなどは性的暴力的表現ができなくなるか、あるいはそういう作品は別の雑誌を作ってということになり、あまり積極的にやりたがらないでしょうが、強固に反対するかは微妙なラインですね。

R18と違い、あくまで目安、守ってなくても処罰されるわけではないとなればなおさら。

リエーターはかなり反対しそうですが、自主的な物で法的な強制ではないとなると、有害図書の頃の様に強くは反対しない可能性が高いかと思います。

書店業界なども、R18の様な基準での区分けは必要ないと言われればあまり反対する理由はないです。

そして、コンテンツの消費者のオタク達はどうか?「事前に明確に言語化せよ!」と連呼しているんですから、当然レーティングには賛成ですよね?となるかと。

結果、公的なコラボなどは作品自体あるいは表現が全年齢向けが相応しいとなりますね。

相応しく無いものは事前に明確に言語化されていますのでオタクも批判された際は納得、というかオタク自身が批判する側に立ってくれるんですよね?

はて?めでたしめでたし。ですね。

 

正直、フェミニズムにまったく明るくない私では、既にそういう活動を開始しているフェミニストがいるかどうかわかりませんが、運動を開始されたらオタクコンテンツを包括的にレーティングされる事はほぼ避けられないかと思っています。

 

再度言いますが、現在基準を「事前に明確に言語化せよ」と言っている方々はこの運動に賛成するんですよね?

まあ、コンビニエロ本もそうですが、レーティングが導入されたら実際ほとんどの人は批判もしなくなるかな?とは思いますが。

抵抗は無意味だ1

この文章は、自分の愛好するオタクコンテンツのコラボなどがフェミニストから叩かれ、積極的にフェミニストへ反論はするわけではないけど、どうすればいいか分からないオタク向けへ書かれてます。

 

なにはともあれ、自分が好きなコンテンツが批判されるのはどういう形にしろ辛いというのはオタクである私自身過去にも経験がありその辛さには察するにあまりあります。

ではそういう時にどうすればいいのか?

「私は君たちの味方だ!」と言ってフェミニストを攻撃する人がいます。

あなたはその人を味方だと思うかもしれません。

「フェミどもはこんなにも愚かだ」

「フェミどもは社会から孤立している」

なんとなく、あなたが好きなコンテンツを批判しているフェミニストをさらに批判する、この様な人たちは味方だと思うかもしれません。

でもちょっと待ってください。彼らの言うことはどの程度確かなのか?

のうりん」以降を見ても何度か同種の問題はありましたが、結果はどうでしたか?

フェミニストの批判が結局は受け入れられた例の方が圧倒的に多いです。

なぜ愚かなフェミニストの意見が受け入れられるのか。孤立しているフェミニストの意見が優先されてしまうのか。

つまり、彼らは自覚しているか無自覚かは知りませんが、客観的な評価ができていない可能性があります。

「フェミどもは嫌なら見るな」

たしかに新聞ネット絶ちをすればフェミニスト達は批判する対象に触れることはないでしょう。でもその主張は君たちこそ、新聞も読まずネット絶ちすればいいと言い返されます。

そもそも知る権利の観点からその様な主張は容れられませんし、現実的でもないです。

「フェミ共が批判しなければいい」

確かに批判がなければ貴方が好きなコンテンツに平穏は訪れるのかもしれません。しかし、これは表現の自由を著しく制限する事になりおよそそんな要求は通りません。

表現の自由は一般に思われているよりは様々な法律によって制限はされていますが、ある人々に特定の発言を禁じるというのは立法論的にかなり無理がありますし、その様な法が仮に出来ても違憲とされる可能性が高いです。

威勢のいい事を言う人達は一体どれだけの実績があるのか、その意見は社会にどれだけ受け入れられてきたのかを考えれば、こういう主張は無意味と言わざるをえません。

つまり、その手の抵抗は無意味なんです。

 

と言われると自分は何もできないのか?

と思うかもしれませんが、そんな事はありません。

あなたが愛好するコンテンツが、一般社会と関わりをもつ場合はちょっと行儀よくすればいんです。

ですから、あなたがすべきことは貴方が愛好するコンテンツの企業などに、あなたが当事者となり「ふさわしくない状況にエロネタつっこむな!」と抗議をすればいいんです。

あなたは、非オタク分野における、ちょっとエロい、くらいの表現が、フェミニストの批判を受けてでも達成する何かなのか?それを自問自答して結論をだしてみて、もし、ちょっとエロは別にそういう時にはいらないな、と思えるなら、コンテンツの提供者にそういう表現は自重しろと要求すれば何も問題はなくなります。

「ここで折れたら我々の居場所がなくなる!」

などと煽る人がいますが、冷静に考えてください。オタクコテンツが、非オタク分野で毎年どれくらいコラボしているか。そのうちフェミニスト達から批判されるのがどれくらいの割合かを。

というか折れる折れない以前に声高に叫ぶ人たちの意見は現実社会への影響は結果から判断すれば無とは言わなくてもフェミニストに太刀打ちできていません。

ちょいエロがなくなった所でオタクコテンツの居場所がなくなることはありません。

 

id:Fubarさんへのお返事

http://fubar.hatenablog.com/entry/2020/02/10/023450

前置き

まずはじめにFubarさんへお返事しますが、基本私は対立する意見の人とネット上で議論をする事にあまり意味を見いだせないので議論はしない立場です。
私自身はあくまで同意見の人たちあるいはそれを見ている中立的な立場の人たちへ私の意見が伝われば十分満足という理解です。
よって、Fubarさんが自分が議論を仕掛けられたと思っているならそれは端的に誤解なのですが、翻って自分の書き込みを読み返すと字数制限のためとはいえ色々省略して書いたため誤解されてもしかたないかな?と思ったのでわざわざ記事を書いて頂いた点に敬意を表しお返事させていただきます。

まずその前に、私を「ツイフェミ」だと勘違いしているようですが、私はフェミニストだと自認していませんしフェミニストだと主張したこともありません。
よって端的にいって私は「ツイフェミ」ではありません。無論広義に例えば「男女平等は目指すべき理想であり女性への差別は解消されるべきである」と考えているくらいの意味でしたら、Fubarさんも「ツイフェミ」になるなと言うのが私の感想です。
もちろんFubarさんが男女差別は当然、平等なんてもっての他、と言う立場なら違いますが、あくまで「平等」や「差別」を具体的にどう解釈するか?の点で意見の相違があるだけですよね?
で私はTwitterもやってますが、はてなの方が長くTwitter民であると言うよりはてな村村民であると解釈してるのでどうしてもというなら「はてフェミ」かと思います。
そして、実際のネット上の用例だと「ツイフェミ」を蔑称か侮蔑の意図で使っている例が多々見受けられます。Fubarさんはそのようなことは思いも寄らないのでしょうが、例えば「Japan」や「Japanese」の純然たる略称に過ぎなかった「Jap」が蔑称になっているように短縮形の言葉はそのような誤解を受けることがあります。近い例ではネットをやっている右翼を指す「ネット右翼」の略称「ネトウヨ」を自称する方もいますが、蔑称だとする人も多々います。

もちろんFubarさんが相手のアイデンティティなど気にせず、議論の相手を蔑称で呼ぶような人間であると誤認されてもいいと言うなら、私自身は「ツイフェミ」と言われようが特にどとも思わないのでそのままお使い頂いても構いません。

さて、前置きがいささか長くなりましたが、もうおわかりいただけたかと思いますが私は議論において言葉の定義とその論理にこだわります。それらを欠いた議論は有意義ではないと考えるからです。Fubarさんがそういうものよりノリと勢いが議論においては重要と考えるなら無理に付き合わなくても大丈夫ですよ。

基本認識

で本題にと行きたいところですが。どこから説明しましょうか。
やはりここは誤解を解消するためにも一から説明しますね。
まずFubarさんは私が何かを誤解していると誤解しているようです。
さてまともな企業で人を教える立場になった人なら「誰かに物を教えてちゃんと理解できないのは教えた人間が100%悪い」みたいな事を聞いたことがあるかと思います。
今回は別に物を教えているわけではありませんが、コミニュケーションにおいて誤解が生じるのは端的に
1伝え方が悪い
2受けての理解力が足らない
3前提となる知識や理解が共有されていない
の3種に分類できると思います。そしてそれらを俯瞰的にコントロールできるのは伝える方です。
その点で考えるとFubarさんと私で前提となる知識や理解が共有されてないのが誤解の原因と思われます。
その点を共有している私と同じ立場に立つ方々は特に私が誤解しているとも感じてないようですし、「ツイフェミ」はこういうのが多いとFubarさんが感じるのはまさにそれが原因だからかもしれません。
私のように対立する人間とは議論しないまで割り切ってなくても、相手が自分の事を理解してくれるまで食い下がる人の方が少ないでしょう。

よって私が現時点でこの宇崎ちゃん日赤問題をどう理解しているかを説明します。
擁護派は宇崎ちゃん第一弾の際はられたポスターを問題ないとする立場の人、批判派は問題あるとする立場の人です。
まず10月宇崎ちゃんのポスターをきっかけに議論が発生しました。
この点で私にとって「社会的によいこと」は日赤が今後この様な問題のある広報活動をしないこと。
でそのためにはまず日赤に問題があると主張している人がいる事を伝えなければなりません。
つまり炎上ですかね?
まあ、流石に身も蓋もない表現なので、整えると「賛否を問わず活発な議論を喚起し世間の耳目を集める」でしょうか。
その点で考えると太田弁護士はすごいですね。正直イデオローグとしては平均的なフェミニストの域をでず、理論的に雑だと感じる事もありますし「先生!言い方!言い方!!」と思うことも度々ありますが、そういう点も含めてアンチフェミニストには鎖の弱い部分だと思われてるのか、なにかあると嬉々として「太田弁護士がこんなことを言っている」と拡散してくれます。確か私がこの件をしったのもアンチ側のまとめたトゲッターだったかと思います。
あ、でもアンチフェミニストから突撃されアカウントを閉じたりする例がありましたが、多数の攻撃的なリプに負けずアカウントを閉鎖したりしない強固さは手放しで称賛します。
で、擁護派の意識しない協力もあり、マスコミにも取り上げられました。
擁護派の方は何か勘違いをしているかもしれませんが私にとっては対立しているのは日赤と批判者であくまで擁護派の人たちは第三者です。あくまで第三者と議論を交わすのは世論を喚起するためというのがどうも理解されてないように思えます。
第一報は「貴重なご意見承りました」という実質何もしませんよという感じでした。
失望せざるをえない結果ですが、ウィッチーズが現場の担当では「パンツじゃないからOK」みたいな反応だったのが本省の知る所になり即座に撤回されたという事例もあり、可能性はまだあると議論は続けます。
で、10月末の朝日報道で、日赤が批判派の意見を「真摯に受け止める」と発表し、私にとっての「社会的によいこと」は達成されました。
無論知名度など皆無の私がはてな村の片隅やツイッターで囀っていたことなど寄与度は万分の一どころか100万分の一もないでしょうが。
そしてせいぜい今後は批判派から批判されないような物になる感じかと思っていたら、ガイドラインを作成という100点満点中150点の対応で、実際宇崎ちゃんの第二弾は批判すべき点もないものだったので大満足。といった感じです。
擁護派の方たちは10月とくらべ批判側の議論が低調に感じられるかもしれませんが、所定の目標は達成しているので、擁護派を説得できるあるいは議論自体に意味を見出してる人以外は積極的に議論に加わらないのではないでしょうか?

で擁護派にとっては私が考える「社会的によいこと」は良いどころか害悪なんでしょうが、そちらの立場で「社会的によいこと」を追求するなら「フェミニストの不当な主張を受け入れたとは誤りで、ガイドライン撤廃しろ」と日赤を、今度は擁護派が当事者になって批判しないといけないのに、なぜだか批判派を批判するだけで一向に日赤を批判しないなー。不思議に思っています。
これが私が今回の件に対する現状認識です。もちろん批判者達あるいはフェミニストを代表する立場でもない私自身の個人的な理解です。

で性的かどうかの問題ですが
「不必要に露出度の高い格好や不自然に体の線が出ている、または胸や尻などを強調している」が私の判断基準です。
あれ?過度かどうかは?とか社会的にどう判断されるかは?みたいな意見もあるかもしれません。
まず前提として人をもした徴表は程度の差こそあれ性的な要素を含みます。自動車や銃とかにも性的な魅力を感じる人もいるかと思いますが、今回はスルーします。よって「性的だが問題ない」と「性的でもないし問題もない」の違いはその人が何を性的と認識するかの閾値を示すだけで今回の議論では区別する実益はありません。性的とはその状況において許容されないくらい性的であるといういみです。
また、性的な要素をどう評価し個人的に問題と感じるかと社会的にどう判断されるかは無関係ではなですが、あくまで別の概念です。そして、個人的にどう思うかではなくあくまで社会的評価が問題とされるため、わざわざ社会的と付ける実益もない。ということです。そこあたり批判派擁護派問わずあまり厳密に区別してない人も多そうですが。
そして、その基準を宇崎ちゃんの第一弾に当てはめれば、胸がカップつきあるいは立体裁断かつ漫画的デフォルメであることを考慮してもサイドやアンダーまで胸の形が如実にわかります、そしてモデルのポーズはあからさまに胸を強調しています。よって性的と判断しました。
第二弾はあくまで胸の大きいが服を着ているだけで胸の形が如実に出たりはしていません。そして全体として胸をお尻を強調してもいないので性的ではないと判断しました。
もちろんこの基準は私のもので他の人はどうかしりませんが、同じ用な基準で判断してるかと思います。
常にこう明快に判断を下せるわけではなく例えば艦これの2020年の摩耶様鳥海のやつは微妙かな?と思いつつ「あくまで胸の大きい女の子が海で水着を来て遊んでるだけで健全」「むしろこれを性的と思うのは百合に割り込みたがる悪い文明」と補助線を引き性的ではないと判斷します。

で私にとってはこれで十分言語化されています。
というかそもそもなんで言語化しないといけないんでしょうか?
世には表現をする団体は各種ありそれぞれ内部でガイドラインはあるでしょう。
例えば、アニメにはいわゆる「謎の光線」で胸やお尻などが隠されることはアニメファンならご存知かと思います。
この前やっていた「神田川JET GIRLS」もその例にもれないのですが、胸はまあ乳首隠しかなと分かるのですが、お尻に関してはちょっと基準が謎です。
同じ格好なのにアングルなどが変わると光線が消えたりついたりします。ビキニタイプのみならずハーフパンツでも同様に光っており、単純な画面内における面積ではなくたぶん「くいこんでエロい感じ」だと光線登場なのかな?と私は判斷しています。
でこれに関して「基準が分からない!言語化せよ!」と言われても角川なりに聞いてくれという感じなので、私がなぜ説明しないといけないのか一向に分からないのです。
また規範とはある程度緩やかにならざるを得ないものです。
脅迫罪に関して、火事見舞いのはがきが脅迫に該当するという話は聞いたことがあるかもしれませんし、元検事の弁護士が脅迫罪に問われたこともあるでしょうし具体的な文面を弁護士に示しても「判例実務上は脅迫罪にまず該当しない」等絶対に大丈夫とは請け負ってくれないでしょう。
また刑法175条に関しても、戦後すぐはチャタレー夫人の恋人という小説が問われたり、ヌード写真も陰毛の有無が争点になり90年代半ばに陰毛ならオーケーと落ち着いたかんじです(少女ヌードはまた別ですが割愛)。二次元に関しても性器の処理は時代によってオーケーの範囲はかなりかわってますし、同じ漫画でも電子書籍では電子書籍の会社によって違うこともあります。
私としては批判者の基準を日赤が受け入れた時点でもう話は終わってます。もちろんそれは私の勘違いで、日赤が今後問題のある表現をしたらまた批判するだけです。
さらに言えば性的かどうかは個人レベルでも種々多用なのは言うまでもないでしょうが、社会的に性的とされる基準も個々人で多種多様でしょう。
そしてそれはイデオロギー、まあイデオロギーという言葉嫌いなら、性に関する規範意識を含めた様々個人の価値観に由来するでしょう。
だから究極的には「基準が分からない!言語化せよ!」は「私の価値観を変更させてみろ!」と同義です。
それをわかってるのか批判者側では「どこから大丈夫か分からない。言語化せよ!」などと主張する人は見かけませんが、なぜか擁護派の人には多いですよね。
価値観なんて様々な影響を受けつつ自分で作りあげていくものなんでそれを他者に求める意味がわかりません。まあ燕の子安貝を求めているだけなんでしょうが。

本題

さあ、やっとFubarさんへ具体的な反論になります。

「「事態に重きを置くべきは既にそこに無い」新たに作られたガイドラインに基づいて日赤が今後活動するので、外野としては駄目だと思うならその点を言語化して批判すればいい。ただそれだけ。世は並べて事もなし」
なぜかFubarさんはこれについて言及していませんが、ここまで読んでもらえたらリゼロのロズワールの発言を引用して示したいのは「言語化せよといのは既に論点ではないのでそんなお話には付き合いませんよ」という事です。だから日赤のガイドラインだろうが一般的にある状況において問題とされる程度に性的かどうかの基準を改めて示す意味などないと主張してるのです。これが理解できていないためにFubarさん私の主張をうまく理解できなかったのでしょう。

また刑法175条に批判的で有ることと表現の自由戦士に批判的であることが論理的に一貫性がないとおっしゃってますが、逆にいったいどんな論理があればそれが当然につながるのか理解できません。
まず宇崎ちゃん日赤問題は「表現の自由」の問題でもないし「性的かどうかは十分明確に区別できる」という立場です。
そして私が刑法175条を否定するのは明確性も問題ですが、それ以上にそもそも国家が表現をわいせつかどうか判斷し国民に触れることを許さないのは不当な表現の自由への弾圧だと解釈しています。
批判派で私のように刑法175条も撤廃すべしという人はいるでしょうが、それが論理的に繋がりがあるわけではありません。
逆に擁護派は「表現の自由」の問題で「性的かどうか区別できない」と言う立場をとるなら、自主的に作成された諸ガイドラインなんかより、全てに国民に強制される175条は当然撤廃すべしとなるかと思います。

擁護派が擁護派の一部が主張するようにマジョリティなら擁護派が175条撤廃に動けば世論は変わりますし、正直わたしの見立てでは擁護派批判派ともどもしょせんノイジーマイノリティーにすぎないと思ってますが、それでも動くきっかけにはなるかと。「保育園落ちた、日本死ね」は記憶にあたらしいかとおもます。それは擁護派にとって「社会的によいこと」なのではないでしょうか?
ですから、私が主張したいのは宇崎ちゃん日赤の批判派を批判するくらいなら、同じくらいの労力でトゲッターまとめやはてぶで175条撤廃を主張してみてはいかがでしょうか?ということです。

これでFubarさんの誤解はすべて解消されたでしょうか?

目についたブコメに関する説明

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200211234453

 TakamoriTarou 増田はこういうことに使うための場所じゃ無い。個人の名前を挙げて批判批評等を行うなら、自分のブログでやれ。私が書きましたとか言えばいいという問題では無い。規約違反

 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200210132627

こことか、誰も規約違反とはしてきしてないですし、増田を悪用し他者を誹謗中傷する事を抑止するための特例だと思っていたのですが、どうなんでしょう?

 

korimakio 「差別かどうかは俺達が常識的に判断する。基準は説明しないから自分で考えろ」とネトウヨに言われて納得する人がどれだけいるだろう。基準があやふやな運用とはそう言う事

 ここあたり、いまいち理解できないんですよね。私が何を差別だと判断するか、他者が判断するか、法人あるいは公的な機関が判断するかは別のことです。

この例に即すなら「私が差別であるか基準を示しそれを日赤が採用した」と言うだけで(無論これが実は勘違いの可能性があります)、たとえば「何々人を殺せ!」「何々人は遺伝的に知能が劣る」みたいな人の意見を企業や公的団体が非としないまでも是とする可能性はまったくないですし、もしそうならそれはそれで批判するだけです。

つまり「俺」の判断と「運用」の間には色々段階があるだろうということです。

どうも言論の自由による議論のもつダイナミズムと、価値観の対立、誰がどう判断するかのなど具体的イメージがどうも私とは違うみたいですね。

 

the_sun_also_rises 刑法175条の具体的基準は判例等(参考:http://bit.ly/2SlOwt7)によって示され現状かなり明確に言語化されている。批判側には明確な基準がないという批判に対する反例にはなりえない。なお件のポスターは明確にわいせつ物でない

 もしかしたらいわゆる3次元に限定しているかもしれませんが、2次元だと、いわゆるエロ漫画の消しはかなり曖昧で微妙です。ちょっと前も同人誌の印刷所と修正の件で話題になりませんでしたっけ?

そして、言語化と簡単に言いますが、自分が書いた同人誌を警察に持ってて175条に該当するか?など教えてくれませんし、裁判所も門前払いです。そんなに自明に言語化されてます?具体的な図画を示され、175条に該当するかどうか責任を持ってあなたは保証できます?私は到底出来ません。

少なくともガイドラインなどが不明確と主張してる人が175条が不明確ではないと言うのはいささか理解に苦しむところです。

develtaro ツイフェミはネトウヨと同じレッテル(というかラベル)だから、自分はフェミニストではない=ツイフェミではない、とはならないんだよな。ここでもよく右翼じゃない人をネトウヨ認定するでしょ?

 私の理解だと、ネトウヨは単に「ネット右翼」の略称だったが、掲示板などで脈絡もなく人種差別や排外主義的な主張をして「ネトウヨは巣に帰れ」などの用例が積み重なり、もともとは蔑称でなかったのが蔑称になっていったというものです。

yujimi-daifuku-2222 典型的な規制派という感じですね。徹頭徹尾お気持ち(私がそう思う)しか存在しない。/この手の輩は批判を殺到させ、業務を圧迫しておいて、 表現自粛した責任は決定した団体にあると開き直る所までがお約束。

 こういう意見を擁護派から言われるのですが、その基準を客観的に適用すれば擁護派もやはり「お気持ち」になるのではないか?と思うのですが、なぜか擁護派自身はお気持ちではないと解釈しいるようで、かなり謎です。

また「批判を殺到させ、業務を圧迫して」とのことですが、愛知トリエンナーレの様な異常な状態なら格別これはそもそも批判自体を封じることになるのではないでしょうか?

また去年の10月あたりに「日赤に応援のメールを送ろう!」と擁護派の方で主張している人がいましたが、一般に応援のメールでも業務は圧迫されるでしょうから、この点でも擁護派は意図せず批判派に協力していたということでしょうか?

jaguarsan この人「誰かに物を教えてちゃんと理解できないのは教えた人間が100%悪い」と「そもそもなんで言語化しないといけないんでしょうか?」の整合性をどうやってとっているんだろうか 

 これは一般的な仕事や勉強は特に価値観の対立の問題となりませんが、たとえば私が編集長で編集に編集の仕事を教えるなどなら前者になりますが、「性的な漫画の編集なんてできません」とか言われたら後者になりますね。

勉強で言えば進化論を受け入れられない人に進化論を受け入れさせるのが後者です。

maketexlsr 本気で「性的か否か真っ二つに分類できる」と思ってる人いるんだなぁ… この意見は上記信念のみを拠所としてる。自分でもグレーゾーン認識してるのに、信念の方が強いから無理矢理分類してる | これid騙りだったら怖い

 私が「性的か否かを真っ二つに分類できる」主張していると解釈されているなら誤解です。グレーゾーンがあることと、「性的かどうかは十分明確に区別できる」は別に対立する概念ではありません。例えば「声をかけられて無視するのはいじめである」という基準はいじめかどうかを判断するには十分明確だと思いますが、具体的に何秒以内に返事をしないといけないのか?一回だけでもいじめなのか?などグレーゾーンはいくらでも想定できると思います。

hobbiel55 「規範とはある程度緩やかにならざるを得ないものです。」「性的かどうかは十分明確に区別できる」←この2つが同時に成り立つとは思えないのだが、どういう論理構成なのだろうか。

 これに関しては上記の説明でカバーできてるかと思います.

 

right_eye 胸を強調したり肌の露出が多いから性的で公衆に出すのはアウトなのだということになると、漫画の表紙の時点でアウトだし、アイドルの衣装など汎ゆる女性性の発露がアウトになると思うんですが。そういう主義ですか?

そんな事を私は言っていません。 「その状況において許容されないくらい性的」はゲームのレーティングあたりが想起しやすいかと思います。小学校に貼るポスターとして、書店やアニメショップで貼るポスターとして、18禁コーナーに貼るポスターとして、それぞれOutとOKの範囲は変わりますよね。

そして服装だと自己実現としての側面もあるので、私はコミケのコスプレ規制程度は公の場所では求められるかもしれないが、クローズな場なら好きな格好でいいと思っている派ですね。また制服やハイヒールなどの強制には反対の立場です。

 

Silica 「価値観なんて様々な影響を受けつつ自分で作りあげていくものなんでそれを他者に求める意味がわかりません。」じゃあなんで日赤に求めるの…

 いくつか説明の方法はありますが、日赤は基本理念を持ちつつ特定の法に依拠してますが、あくまで法人です。そして、日赤への批判は「日赤が本来こうあるべきと自己規定していることに反しているのではないか?」という風に気づかせる為であるということ。あとは、ある人の支持政党を変えさせるのと具体的な政策について議論して意見を表明するのはまた別ですよね?