児童型ラブドールに関する議論に関して
ラブドールに関する議論はあまり追っておらずそれ自体はあまり語れることはありませんが、どうも議論を見てるとボタンがかけちがってる感もあります。
で、上記エントリーを見て気づきました。
一体誰が何を議論して、なにが対立しているか?は、とても重要なので、「規制派」などと、法的規制を求めてない人も含めるのはいささか問題があると感じますが、今回の件は「明白なルール違反の問題行為」がありそれを問題視する人とそれを問題視しない人という区別ができそうですね。
この件を問題視する人が必ずしも明白なルール違反だとは主張していませんが、問題視しない人のブログなどを見ると、私の見た範囲ではその点に言及さえされていません。
Twitterは明白に準児童ポルノを含む児童ポルノに関連する様々な行為を禁止しています。*1
id:the_sun_also_rises 氏*2も大満足するだろうくらい、明確に書かれています。(氏は準児童ポルノは許容するが児童ポルノの擁護者ではありません)
よって件の行為は明白なルール違反であり、ゾーニングも守られていなかったといえるでしょう。「閲覧注意」とか書いとけば18禁の本を一般の本棚に置いていいとか、そういう問題ではないことは自明だと思います。
よって、この件はそもそも「明白にルール違反の問題行為」に由来しているのにそのルール違反を無視し問題視せず、逆に問題視する人を差別主義者などと言い出す困った人と、「明白なルール違反の問題行為」を問題だと思う人との対立と捉えることもできます。と言うかどちらの立場でも件の行為が「明白なルール違反の問題行為」だということは前提だと思っていました。
いささか長いので「ルール無視派」vs.「ルール遵守派」とでもしましょうか。
そうすると色々クリアに見えてきます。
お決まりのように「規制派のフェミ」などと言う戯言を放つ人もいますが、Twitterで準児童ポルノを禁じているのはTwitter社なので、「フェミガー」などと見当違いの事を言う前にTwitter社に働きかけてみましょう。
「小児性愛嗜好」を認めないのは差別だ、というならやはりその差別的なルールを設定しているTwitter社を批判しましょう。
BLMなどでも指摘されていますが、ルールや構造自体が差別的であるというのは一般論としてはありえますね。
あとは「ルールなんかしらん、私が私のやりたいようにやる!」というアナーキズムもありかもしれませんが、多分あまり支持はされないかもしれません。
というわけでルール遵守派の私からすると、「ルール無視派」は明白なルール違反を無視しながら、「児童への性暴力はいけない事には同意している」「明白なルール違反を批判するのは差別」などと言っている人たちという事になります。
まあ、ルール遵守派のすべてがそう見ているとは断言できませんが、「ルール無視派」は自分たちの信頼性や公正さを自ら毀損しているように見えます。