議論の将棋盤返し

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  1. トートロジーとは何か?
  2. 私が提示した基準の論理関係
  3. 議論の将棋盤返しとその問題点

どうしても長くなってしまうので、個人的おすすめ度と内容を3行でまとめたものを冒頭に書くことにしてみました。

stand_up1973 「性的とはその状況において許容されないくらい性的であるといういみです」このトートロジーに納得できる理性がどういうものか知りたい。

2020/02/12 リスト Add StarOutfielder29xKxAxKx

 
 
 
 

 

 さて、個人的にトートロジーをネガティブな意味に使うのはあまり好きではありませんがどうも、id:stand_up1973 氏のこの文章単独では何を言いたいのかよくわかりません。

トートロジーとは同じ言葉という原義が指し示すように、同語もしくは同義語を繰り返すことです。

  1. 私は私だ
  2. ヒトは人間だ
  3. dogは犬だ

トートロジーです。2に関しては生物学や医学の分野では人間の事をヒトと言う事を示しています。3は、まあ説明いらないですよね。1も、たとえば久しぶりにあった人間に見た目が違っているので「本当に誰々なのか?」と問われた際に答えるなど、「私」を強調したい時などに使えるでしょう。

よってトートロジーは無意味であるというのはちょっと首肯しかねます。

では

「殺人とは人を殺すことである」

これはトートロジーでしょうか?もちろん違いますが、日本語だとちょっとわかりにくいかもしれませんので英語にすると。

「Murder is the killing of a person

となりトートロジーではない事は明白かと思います。

つまり論理的には「AとはBをCすることである」となります。(故意要件は議論を煩雑にするので省いてます)これはいかなる意味でもトートロジーではないと言えるでしょう。

そうするとある行為が殺人といえるかはBやC、つまり人とは何か?殺すとは何か?という問題になります。

人とは何か?と言うと哲学的な趣がありますが、この場合はプラグマティックで、たとえば堕胎と殺人を分けるために胎児はいつから出生して殺人といえるのか?などが問題になります。そして、殺すだと、例えば道端に倒れている人がいて、容易に救護や救急車を呼べるのに何もしないで立ち去り倒れていた人が死んだ場合などがあげられます。

こうやって論理的に要素に分解すると、どこが論点か明確になり議論に有用です。

そして私の基準「性的とはその状況において許容されないくらい性的であるといういみです」は「A(性的)とはB(その状況)でC(許容されないくらい性的)である」となります。Cは「許容されない」と「性的」の2要素が含まれてますが、性的は人を描いた図像なら程度の差こそあれ含まれているものであるという私の説を前提とすれば結局一要素になります。

なお論理学でトートロジーと言うと恒常式など数学の命題の様に常に成り立つ式と言う意味でも使われますが、その様な用法でないことも明白でしょう。

あと、刑法で言う事実要件と規範要件で、私の基準には規範要件が含んでいると言う指摘かもしれませんが、およそこの手の問題で規範要件を含むなと言う方が無理な相談です。

 

さてこれで、可能性はトートロジーの意味を誤認誤解している。または私が提示した条件の論理が読み取れなかった、あるいはその両方と結論さぜるを得ません。

 

ここで疑問点があります。擁護派は「いかなる状況においてもどの様な性的表現が許される」つまり、例示としては小学校のポスターとして、コミックLOなら格別通常の成人指定されているような漫画雑誌の表紙を使っても問題ない、あるいはそれこそ日赤がその様な漫画の性的な行為の部分の図像を是とする立場、ではないと思います。

つまり、なんらかの形で是非を判断する基準はあるはずです。それを私が提示した基準に準拠して議論してもいいですし、もしもっとよい基準があるならそれを提示すればいいのですが、なぜかこういう議論の将棋盤返しとでも言うべき、そもそも議論の土俵にも上がらない事例が散見されます。

普通なら将棋盤返しをした人が不戦敗になるはずが、根拠は不明ですが私の「理性」になんらかの問題があると指摘し、将棋盤返しをした方ではなくされた方に問題があると主張しているかと思えます。

これは、そもそも議論を拒否する態度であり、言論の自由を空疎化する行為ではないかと危惧します。他所ですが擁護派が「端的な質問をされたのにまともに答えてくれないではぐらかす」というのも見かけました。

と、ここまで書けばそれがまさに現実の政治の舞台で行われている事を想起する人も多いでしょう。どちらが卵でどちらが鶏かと言う問題ではなく相互に影響しあっており、アメリカのトランプ現象でも見られるように日本独自の問題でもない可能性があります。もしかしたら、言論の自由の価値は私が想像しているより、多くの箇所で機能不全を起こしているのかもしれません。